最初に断っておくと、私はミニマリストではありません。
しかし、今回の断捨離騒動のことはブロガーとして、言論の自由に関わる問題だけに非常に危惧しています。
断捨離騒動の概要や、これは言葉狩り(言論弾圧)ではないかという主張はていないさんが丁寧にまとめてくれているのでぜひご一読を。
そして、この問題がうやむやにならないよう拡散していきましょう。
👀RT希望🔥
広まれ〜
やましたひでこが「断捨離」のユーチューブ全面使用禁止を通達。
ネットの「断捨離」の使用禁止は法的根拠なし‼️
✳️提唱者だから
✳️商標権があるから
という理由で、普通名詞化した言葉を禁止することはできません!
📕弁理士ら専門家の意見多数ありhttps://t.co/huYW3IfJYu— ていない🐱ごきげんミニマリストブロガー (@tei_nai) 2019年6月26日
断捨離の一般的な意味は何か?
ここからは今回の騒動に関しての個人的な意見・感想になります。
最初に断捨離という言葉の意味ですが、この言葉がどの思想から来ているか、というようなことはここでは書きません。
触れたいのは、ミニマリストでもない一般人がどのようにこの言葉を受け止めているかということです。
子育ても一段落してくる私の世代の人たちは特に、断捨離という言葉をよく使います。
「断捨離は、やましたひでこさんという人が商標登録している言葉です」と私が言っても、みんなきょとんとしています。
なぜなら、一般の人たちは何の予備知識もなくこの言葉を使っているからです。
「片付け」「処分」「廃棄」といった分かりやすい言葉ではなく、「断捨離」という言葉を周りの人たちが使っているのはどうしてか?
それは断捨離という言葉がもつ響きがとても心地良いからです。
そして周りの人たちの声を集約すると、「生きていく上で必要最低限な物だけを所有し、すっきりシンプルな生活を目指すこと」という意味でこの言葉を使っているように思えます。
つまり、断捨離という言葉を使う際には、単にものを捨てるという行為だけを指しているのではなく、自分の目指す生活スタイルというニュアンスで使っているのです。
心地良く聞こえていた言葉の品位が落ちた
一般の人たちの大半は断捨離という言葉をとても清々しい気持ちで使っている(使っていた)のですが、今回の断捨離騒動でとても寒々としたものを感じました。
人の欲が渦巻いていると分かった以上、断捨離という言葉は2度と使いたくない、というのが最初の私の個人的感想です。
商標権の正当性云々の話は正直なところよく分かりません。
断捨離という言葉を使うことによってアウトのケースとかセーフのケースとかがあるのでしょうが、そんな線引きのこともよく分かりません。
やましたひでこさんの公式サイトには次のように書かれています。
「断捨離®」および「クラターコンサルタント®」は、やましたひでこの登録商標です。
個人的な断捨離体験を語り発信するのは、ご自由です。
ただし、商業目的、営業目的が伴う「断捨離®」「クラターコンサルタント®」のご使用に際しては、明確厳格な基準を設けており、許可無く使用することはできません。
「個人的な断捨離体験を語り発信するのは、ご自由です。」という部分と「許可無く使用することはできません」という部分との違いが一般的な感覚では分かりづらいです。
じゃあ、これをケースAとかケースBとか具体的に例示してもらえたらいいのかと言うと、もう、そんなめんどくさいことを言われるくらいなら断捨離という言葉は使いたくない、そもそも営利目的で使っている言葉には関わりたくないというのが本音です。
断捨離という言葉は誰かの所有物?
断捨離という言葉は使いたくない、というところでこの話を幕引きしてもいいのでしょうが、じゃあ、これに代わる新たな言葉があるかというとなかなか頭に思い浮かばないのも確かです。
あれこれ考えているうちに、この言葉をこのまま使わないようにするのは勿体ないのでは、という気持ちも芽生えてきました。
以前、吉本興業が「白い恋人」という北海道銘菓の名まえをパクって「面白い恋人」というお菓子を販売したことがありました。
この時は、訴訟になって当然と思いました。
これはニュースでも大きく取り上げられましたね。
しかし、今回の断捨離騒動では、YouTubeなどから文言を削除されて当然というようには思えません。
瓜二つの言葉が使われることによって消費者が本家のものと勘違いし、本家が本来得られるはずの利益が損なわれてしまうケースについては非常に分かりやすいです。
ところが今回の断捨離騒動では、断捨離という言葉が勝手に使われたことによって本家が被害を受けたと言えるのかどうか?
その意味ではやましたひでこさんが公式ページで、「YouTubeやブログ、SNSなどでどうぞ自由に断捨離という言葉を使ってください。ただし、本来の意味を正しく伝導しようと努めているのは私(たち)ですよ」と伝えてくれる方がすっきりするのではないか、という気がします。
それによって誰もが安心してこの言葉を使い続けられるし、提唱者としての知名度もますます上がる気がします。
言葉の専有という概念は、私を含め、一般の者にとってはとても分かりにくいです。
自由にこの言葉を使ってください、と公言してもらえることで皆がハッピーになると思うのですが、いかがでしょうか?